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これが召集令状・赤紙だ!終戦記念日特集1

2009/07/31
category - ブログマガジン
                         
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近代化遺産9・宮本武蔵と佐々木小次郎が眠る軍事遺産の山・手向山

2009/07/30
category - 世界遺産・近代化遺産
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 シリーズで連載してきた北九州市小倉北区の手向山。
ここには、明治から昭和にかけての重要な軍事遺産が
残るとともに、宮本武蔵と佐々木小次郎の碑も建設されている。
 この手向山は、江戸時代、代々小倉藩の家老だった宮本家
が、藩主から拝領していた。
 明治になって、手向山(当時は、田向山)一帯を陸軍が接収、
戦争による敵艦隊の来襲を予想し、関門海峡防備のために
山頂東側に砲台を構築した。4号倉庫の上部に「明治20年
9月起工、同21年竣工」とあり砲台の設置は、明治21年。
大砲の設置は、同24年である。
 砲台は、1砲座に24cm臼砲を配備、合計6砲座を設置した。
右の4砲座は、直線に、左の2砲座は、やや内側に折れた
「折線砲列」になっていた。各砲座は、山の斜面を削って
すり鉢状にしていた。
 砲座からは、関門海峡が見えないので、砲台両端から100m
離れた場所に観測所を設置し、位置や距離を確認し、砲座と連絡
する仕組みになっていた。しかし、砲台は、実践に使われること
はなかった。

写真1枚目、佐々木小次郎の碑。この碑は、村上元三が新聞
連載小説「佐々木小次郎」の完成を記念して、旧小倉市(現北九州市
小倉北区)に寄贈したものです。谷口吉郎の設計で、昭和26年に
建てられた。碑には元三の句「小次郎の 眉涼しけれ つばくらめ」
が刻まれている。
 佐々木小次郎については、隣の宮本武蔵の碑に「兵術達人名岩流」と
刻まれていますが、ほかに資料がなく、よく分かっていない。
 武蔵との仕合があったといわれる4月13日に近い日曜日に毎年、
碑前で、武蔵小次郎まつりがおこなわれている。
小次郎の碑

写真2枚目。武蔵の碑。
この碑は、武蔵の養子、宮本伊織が、建立したものである。伊織が
播州(兵庫県)明石の藩主であった小笠原忠真に仕えたのは、寛永
3年。15才のときで、同9年小笠原氏が小倉に入国したときには、若くして
知行2500石の家老であった。
 武蔵は、数年間小倉に在住したと伝えられるが、寛永17年には、熊本
に移り、正保2年(1645)5月19日に没した。
 碑は、伊織が、忠真から拝領した手向山に、養父武蔵をしのんで、
1654年4月19日に建てたもので、古くから北九州地方第1の名碑と
うたわれている。剣豪の生涯の事跡を伝える碑文は、武蔵と交友のあった
熊本、泰勝寺の春山和尚が記したものである。
武蔵の碑

 碑文の大意は、以下のようなものである。
 「武蔵は、文武両道を極め、二刀兵法の元祖である。13歳で初めて
勝負をし、16歳で但馬秋山と勝負し、これに勝った。
 京都で日本一の兵術家吉岡清十郎にも勝ち、一門の恨みをかい、
多数で襲われたが、これも打ち破った。舟島(巌流島)では、兵術の達人
巌流(小次郎)と勝負した。巌流は、三尺の真剣で秘術を尽くして戦った
が、武蔵は、木刀で一撃し、殺した。以来、舟島を巌流島という。
13歳から壮年まで60数勝負し、敵の眉間を打ってはずさず常に勝った。
昔から兵術の雌雄を争う人は、多いが相手を打ち殺す程の技量を持つのは
武蔵だけである。
 その名は、全国に知れ渡った。武蔵は、常に無私の境地になれば、戦場で
大軍に恐れることもなく、国を治めることも難しくはないと言う。
 石田三成謀反のときも、大阪の陣の名声を博した。加えて文武全てのものに
業績を残した。肥後(熊本)で没するときに、「天仰実相円満之兵法逝去不絶」
と書いて遺言とした。」

 巌流島を望む
 写真3枚目、2人の碑は、ここ手向山の山頂部に建てられている。ここからは、
2人が決闘した巌流島を望むことができる。
巌流島は、対岸(下関側)の塔の右側である。拡大してほしい。最大化
すると、赤い線で囲まれたところが巌流島である。
 なお、、「武蔵の遺骨は、熊本に埋葬してあるが、その一部を分骨して
武蔵の碑に埋葬してある。」との地元の有力な情報を入手した。
                                 
                                      
            

近代化遺産8・宮本武蔵と下関要塞・手向山砲台

2009/07/28
category - 世界遺産・近代化遺産
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 シリーズでアップしている宮本武蔵と下関要塞・手向山砲台。
北九州市小倉北区手向山。ここには、宮本武蔵と明治、昭和期の
軍事遺産が眠っている。
 写真1,2、3枚目。火薬倉庫。(7月25日の記事の手向山の地図を
参照してほしい。)
火薬倉庫 火薬倉庫 (1)
 火薬倉庫 (2) 探照灯跡
写真4枚目。探照灯跡。手向山の山頂の砲台の構築とともに、夜間の
敵艦の侵入を把握するために、砲台から北西170m、標高50mのこの位置に
探照灯を設置した。
 円形の赤レンガの中央にある、四角の台座の上に可搬式90cmの探照灯を置き、
夜間に関門海峡を通る船を照射し、観測所から確認できるようにした。
 円形レンガの上部セメント部分に小倉、名古屋岬(戸畑)竹の子島、筋山、
田の首村(彦島)、火の山、古城山、大里、矢筈山(門司)などど目標になる地名が
刻まれている。
 なお、麓近くの赤レンガの壁の建物が、電灯所(火力発電所)で、タービンを回して
自家発電し、探照灯の電源としていた。
電灯所跡
 探照灯の建物は、現存していないため、上の5枚目の写真でアップする。

 写真6,7枚目。探照灯跡。
探照灯跡 (1) 探照灯跡 (2)
 8枚目、第1号倉庫。
 9枚目、電灯所(火力発電所)

第1号倉庫 発電所跡 (1)
 10枚目、電灯所(火力発電所)
 11枚目、電灯所(火力発電所)の図面。
 明治時代の火力発電所跡。
 この付近一帯は、明治時代から要塞地帯で、昭和20年8月の
終戦まで、一般の人は、立ち入り禁止地区であった。
 この手向山に明治20年から24年にかけて、関門海峡に敵の艦船が
侵入したときに、攻撃するための砲台を建設した。
 この赤レンガの建物は、自家発電装置を内蔵していた火力発電所
(明治時代は、電灯機関舎と言った)跡である。この火力発電所では、
海峡を照射するため、北側の中腹に設置された探照灯の電気を供給
していた。
 室内は、左右2室に分かれ、左が汽罐(きかん)室(ボイラー室)
右が発電室になっていた。
 これと全く同型で同時代に建設せれたものが、愛媛県今治市の
白島に復元されている。
 ちなみに赤レンガには、「いよ」と刻まれ、白島と同じ愛媛県産の
ものを使っている。
 発電所跡 発電所跡2
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右上の最大化をクリック④右下の「通常のサイズに伸ばす」
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(引用及び参考文献 「北九州の近代化遺産」「福岡の近代
化遺産」「九州遺産」弦書房)
                                 
                                      
            

近代化遺産7・宮本武蔵と明治の砲台群・下関要塞・手向山

2009/07/25
category - 世界遺産・近代化遺産
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 宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島での決闘を
アップしてきた。これで、記事は終わりではない。
取材を進めるうちに、宮本武蔵と北九州市小倉北区の
手向山(たむけやま)が、深い関係であることを知った。
 ところで、下関要塞とは、明治期に日清戦争開戦に備えて
敵艦船の関門海峡通過を阻止する目的で、明治20年から
十数年の歳月をかけて、海峡を挟んで下関と北九州の
両側に設置された砲台群の総称である。その数は19箇所に
のぼり、西日本では最大級の要塞であった。しかし、日清
戦争でも、日露戦争でも防備だけの沿岸要塞は、意味のない
ことが分かっただけで、一発も実際に発射されることはなかった。
無用の長物と化した全国各地の砲台は、全て廃止された。
(大正2年)しかし、この下関要塞は、朝鮮、中国に近い
重要地域であるために、施設だけは、そのまま温存された。
 要塞地帯は、戦前要塞地帯法によって、立ち入りを厳しく
規制されていたため、周辺の自然が現在まで残されている。
 この手向山砲台は、1889年に竣工。この山は、もともと
宮本家の所有であったが、要塞化のために、陸軍に接収
された。
 なお、この手向山砲台は、昭和に入ってからも小倉造兵廠
の防備のため、砲陣地として利用されていた。山頂の広場に
砲座と弾薬庫があり、弾薬庫の石材は、藍島(あいのしま)から
運ばれたと言われる。ほかにも、倉庫、観測所などの遺構が点在
する。
写真2,3名目、第3,4号倉庫。この中にたくさんの
弾薬を保管していたという。
砲台跡  第3号倉庫
 写真4名目、砲座。
第4号倉庫  砲座
写真5枚目、手向山地図。拡大してみてください。
手向山地図

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(引用及び参考文献 「北九州の近代化遺産」「福岡の近代
化遺産」「九州遺産」弦書房)
                                 
                                      
            

どっちがウソつき?自民党VS民主党・総選挙でどちらに投票すればいいのか?

2009/07/20
category - 政治・社会・教育・いじめ
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 民主党のマニフェストが、固まった。「子ども手当」など年間
16.8兆円に上る新規政策を掲げ、無駄遣いを根絶することで
財源を確保する内容だ。
 一方の自民党は、親麻生VS反麻生でごたごたして
マニフェストが固まらず、なかには自分独自のマニフェストを
出す議員もいるようだ。
 民主党は、他にも「公立高校の無償化」や「高速道路の無料化」
「道路特定財源の暫定税率廃止」などを決めている。
これに対し、自民党は、「どうやって、財源を捻出するのか?」と
批判している。民主党は、「今の税金の使い道は、従来の習慣や
しがらみに縛られている。徹底的に見直していきたい。」と話し、
「事業仕分け」をしている。
 さて、ここまで記事を書いてきて、筆者には、政府の無駄遣いに
ついて思い当たることがたくさんあった。以下に例示していく。
 例1…公務員の無駄遣い。6月のある日。少し暑かったが、私は、
窓を開けて車を運転していたら、その横を窓を閉めて、クーラーを
かけて涼しそうにパトカーが走り抜けていった。周りを見ると、
その日は、さほど暑くもなく、窓をあけてクーラーをがまんしている
車が多かった。
 例2…家から少し離れたスーパーマーケットの出入り口。
その道路の中央分離帯に下の写真のようなポールが十数本
建てられた。家に帰るには、右折なので、「邪魔だなあ」と思いつつも
「ここで、右折中に事故でも、起きたので右折できないように、ポールが
設置されたのかなあ。」と思い、左折してスーパーマーケットを出て
その先で、Uターンして家に帰ることにした。それから数ヶ月すると、どうしたものか
ポールが、撤去されていた。「ああ、これで、家に帰りやすくなった。」と
喜んだのもつかの間、またまた、数ヶ月すると、ポールが設置。
そして、そして、また数ヶ月後には、撤去という複雑怪奇な繰り返し。
一体、この繰り返しで、我々の貴重な血税がいくら使われたのか?
もはや、税金を工事会社にのしを付けて手渡しているとしか思えない。
道路分離帯
 例3…お役所仕事。ある友人の体験。彼は、自分の土地を駐車場にしようと
区役所に掛け合った。すると「自分の土地から車道に出る時に、歩道を
大量の車が通るので、歩道が下に沈む可能性があります。歩道を
一度掘り返し、厚さ10センチで再舗装してください。」と言われたそうだ。
そこで、区役所の指示に従い、工務店に工事をお願いしたら、
そこの歩道は、初めから厚さが20センチあり、再舗装をすることで、厚さが
20センチから10センチに薄くなったという。こんな無駄が、役所には
多い。
 例4…(消息筋を条件に取材に応じてもらった)政府のある出先機関。
備品を買うのに、(担当者が数年ですぐに変わるため、)新任の担当者は、
どんなものがあるのかもよく確かめずに買う。あとで、同じものが多量に
未使用で見つかったり、 ほとんど使用されずに規格が変わって使用で
きずに、廃棄したりする無駄が多いという。
 例5…やはり(消息筋を条件に取材に応じてもらった)政府のある出先機関。
年度末に無駄な出張が多いという。出張旅費が国からくるが、余ると翌年度は、
減額されるため、あえて、無駄だとわかっていても、翌年度の減額を考えて
無駄な出張を繰り返すという。
 一個人である、私が少し調べただけでも、これだけの無駄があるのだ。
我々、国民の大切な血税が、政府、霞ヶ関の官僚どもに無駄に使われている
のである。
 自民党と民主党、どちらの言い分が正しいか、賢明なる
ブロガーのみなさんなら、もうお分かりであろう。
 8月30日に予定されている総選挙。国民の意思をはっきりと
示し、長年続いてきた自民党の腐敗政治にノーをつきつけましょう。
アメリカは、オバマ大統領を選び、変わった。日本も今こそ、変わる
チャンスである。Yes,we can.
                                 
                                      
            

宮本武蔵と佐々木小次郎・決闘の島・巌流島4

2009/07/20
category - 日記
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連載している宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の島、
巌流島。今回で4回目である。
写真1枚目、決闘当時の巌流島は、現在の1/6の面積であった。
その後、明治から大正にかけて、埋めて工事で約6倍の面積
103000㎡になった。その南側は、三菱重工業(株)下関造船所の
私有地になっており、立ち入り禁止である。
 写真2枚目。関門海峡の真ん中から関門橋を眺めることが
できるのは、ここ巌流島だけである。
巌流島41 (6) 巌流島51
 写真3枚目、巌流島に往復しているフェリー会社は、2社。この黄色のフェリーは、
往復800円。(もう一つのフェリー会社は、往復1000円)向こうには、
三菱重工業(株)下関造船所のドッグが見える。
 写真4枚目、桟橋と三菱重工業(株)下関造船所。

巌流島51 (2) 巌流島51 (1)
 写真5枚目、(写真を拡大すると)下関造船所に自衛隊の
護衛艦が入っている。
 写真6枚目、フェリーから見る下関。

巌流島51 (3)  巌流島51 (4)
 写真7枚目、恋人灯台伝説。赤と白の2つ灯台は、恋人灯台と
言われ、恋人同士が両方の灯台に触れて愛を誓うと必ず
結ばれるという。なんと、あのテレビアニメ「名探偵コナン」
(毎週土曜PM6:00~6:30)でも紹介されたという。
写真8枚目、北九州市門司区側から見た巌流島
巌流島51 (5)   巌流島61
 ここまで、記事を書いてきて、一番疑問に思ったのは、離島でおこわなれた
決闘の様子をどうしてみんなが知っているのか?
 それは、この決闘に立会人がいたからだという。
検使、警護の侍、医師などが待機して、厳粛な雰囲気の
中で、両雄の戦いが行われたという。
 なお、現在、無人島である巌流島だが、昭和48年まえは、人が
住んでいたという。
                                 
                                      
            

宮本武蔵と佐々木小次郎・決闘の島・巌流島3

2009/07/18
category - 日記
コメント - 4
                         
 連載している宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の島、
巌流島。今回で3回目である。
 まず、写真1枚目と3枚目。この地が、慶長17年4月13日に
武蔵と小次郎が決闘した地であることを示す碑。
 写真2枚目。巌流島文学碑。アクリル板に画家古舘充臣氏が
えがく、小次郎と武蔵の決闘の場面が焼き付けられている。
碑文「白い雲のわいている空に、小次郎の面影が見える。
この後も絶えず兎禰(とね…村上元三作「佐々木小次郎」
に登場する小次郎の恋人の名)の眼に浮かんで消えること
のないであろう小次郎の生きている面影があった。」
(村上元三作「佐々木小次郎」より)
 写真4枚目、巌流島の様子。


巌流島31  巌流島31 (1)
巌流島31 (2)  巌流島31 (3)
写真5,6枚目。武蔵VS小次郎像。武蔵像は、山口県下関市の廣瀬直樹氏、
小次郎像は、小次郎とゆかりのある山口県岩国市の彫刻家、村重勝久氏が
デザイン。除幕式には、NHK大河ドラマで武蔵役、小次郎役を演じた
市川新之助さん、松岡昌宏さんも出席。左、小次郎。右、武蔵。

巌流島41 (1) 巌流島41 (2)
写真7,8枚目。決闘の場所をイメージして作られた白い砂浜。
浜辺には、武蔵が乗ってきた舟も再現されている。

巌流島41 (3) 巌流島41 (4)
写真9枚目、白い砂浜より桟橋方面を望む。
写真10枚目、桟橋より立ち入り禁止の私有地を望む。
巌流島41 (5) 巌流島41
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宮本武蔵と佐々木小次郎・決闘の島・巌流島2

2009/07/18
category - 日記
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 宮本武蔵は、佐々木小次郎の待つ決闘の島・巌流島に
わざと遅れていく。約束は、「辰(たつ)の上刻(午前7時頃)」。
しかし、宮本武蔵が到着したのは、3時間半後の「巳(み)の
刻すぎ(午前10時半)」。
「二天記」によると、相手をじらした宮本武蔵が遅れて島に到着
すると、、
待ちくたびれた小次郎が、
「武蔵、遅参とは何事か。臆したか!」と太刀を払った。それを
見た武蔵は、にやりと笑い
「小次郎、破れたり。」と木刀で小次郎の
頭上を打ち、小次郎の脇腹に振り下ろされ
勝敗が決したという。
 勝った武蔵は、とどめをさすのも忘れ、急いで舟に飛び乗った
という。
 負けた小次郎の流派にちなんで、この島を巌流島と呼ぶように
なったという。(この島の正式名称は、船島。)
 そもそも宮本武蔵は生まれが、はっきりしていない。兵庫県とも
岡山県英田郡宮本村とも言われている。生涯を剣術探究に捧げ
生み出した兵法が、太刀を右手に、小刀を左手に持ち、自在に
操る二天一流である。
 わずか13歳にして初めての仕合を皮切りに吉岡一門との仕合。
大阪冬、夏の陣の激戦も経験。小次郎との「巌流島の決闘」
等、多くの仕合に勝ってきたが、ほとんどが撲殺だとも言われている。
謎に包まれた天下無双の宮本武蔵である。
 一方の佐々木小次郎も謎に包まれている。生まれは、
周防国岩国とも福井県足羽とも言われている。
中条流を学び、剣の腕を磨いた剣の天才であった。自ら厳流という
流派を興し、刃渡り90cm以上もある長刀をあやつり、小倉藩の
指南役に抜擢される。頭上から一気に振り下ろし、剣先を翻して
下から斬る「燕返し」をもってここで武蔵と対決した。
写真下左。巌流島の様子。桟橋を降りてすぐ。
巌流島21 巌流島21 (1)
写真上右。
佐々木巌流の碑。明治43年(1910)に船島の開墾工事(1908~1910)が
完了したのを記念して建てられた碑。初めは、島の中央に
建てられていたが、いつの頃かこの場所に移された。
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宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の島・巌流島

2009/07/11
category - 写真・風景・珍百景
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 慶長17年(1612年)4月13日。宮本武蔵と佐々木小次郎
が決闘をした島。それが、あの有名な巌流島である。
巌流島があるのは、山口県下関市大字彦島字船島648である。
(今まで、北九州市門司区にあるものだと思っていた。)
巌流島には、門司区と下関市からフェリーが出ているので、
自由に行くことができる。(大人往復800円から1000円)
(所要時間は、約10分間)
 今回は、下関からフェリーに乗った。
写真1枚目、正面に見えるのが、カモンワーフ。レストランや関門の
お土産品店など多彩なショップがならぶシーサイドモール。
右に見えるのが、唐戸市場。下関はもちろん、北九州の食のプロも
通う卸売り市場。小売りも行っており、一般の人も新鮮な食材を
安く手に入れることができる。
フェリーは、カモンワーフの左(唐戸桟橋)から発着する。
写真2枚目、後ろに見えるのが、関門橋。
巌流島1  巌流島2
写真3枚目、対岸に見えるのが、北九州市門司区。
写真4枚目、フェリーから見る巌流島。
巌流島3  巌流島4
写真5枚目、巌流島全景。
写真6枚目、巌流島桟橋。
巌流島5  巌流島6
写真7枚目、巌流島全島案内図。
巌流島7
 上陸後のことは、また、この次に書きます。
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(または、画像上で+)をクリックすると画像が拡大します。

                                 
                                      
            

ブログの完全引越し・GOOブログよりFC2ブログへ

2009/07/05
category - gooブログからの引越し
コメント - 0
                         
 GOOブログより引越しをして早や1年2ヶ月。
FC2が、引越しをしてくれるのを信じて1年2ヶ月。

 しかし、一向にFC2が引越しをしてくれないので、
自分で前のブログ(趣味悠々 園芸と日記と写真館Ⅰ
http://blog.goo.ne.jp/heiji303/)
より、評判のよかった記事を少しずつ
引越してくることにしました。
 趣味悠々 園芸と日記と写真館1よりのブロガーの方は、
重複するかもしれませんが、ご了承ください。
                                 
                                      
            

ケムトレイル特集

2009/07/04
category - 写真・風景・珍百景
コメント - 4
                         
 飛行機雲でもない、地震雲でもない、ケムトレイルを
知ってから、やたらと目にするケムトレイル。
 その中でも、撮影状況がいつもとちがう今日の6枚。
それでは、ご覧下さい。(何度しても
413 Request Entity Too Largeのエラーメッセージがでるため、
仕方なく、1枚だけです。)
ケムトレイル (3)
 こんな時刻に見るのは、あまりない。また、画像を拡大すると
判るように、2本のケムトレイルが、写っていて、その形がまるで
ちがう。珍しい1枚です。
                                 
                                      
    

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