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これが麻生太郎総理の豪邸だ!総理の豪邸内部写真

2008/10/26
category - ブログマガジン
                         
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これが麻生太郎元総理の自宅だ!元総理の自宅写真

2008/10/25
category - ブログマガジン
                         
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近代化遺産3・JR九州小倉工場

2008/10/18
category - 世界遺産・近代化遺産
コメント - 0
                         
 日本の鉄道は、明治5年に新橋から横浜間に鉄道が開設されたこと
に始まる。九州では、明治22年、博多、久留米間に「九州鉄道会社」
の路線が開設され、その2年後には、門司港、熊本間が開通した。
「九州鉄道会社」は、明治40年に、統合国有化され、現在の九州旅客
鉄道株式会社になった。
 日本における鉄道の導入は、イギリス人の技師長エドモンド・モレルを
招聘し、イギリス式の鉄道を導入した。駅舎建築には、アメリカ人建築家
ブリッジェンスの設計。九州に鉄道が産声を上げた時には、ドイツ人技師、
ルムシュッテルの指導のもとに工場が造られた。つまり、日本における
鉄道技術と施設の導入には、イギリス、アメリカ、ドイツの影響が大きかった
ことが分かる。
 この九州小倉工場では、車両の検査、修繕、改造、整備を目的としたが、
後年、SLも製造している。
 現在の小倉工場には、大正3年以前に建設された工場が3棟残っている。
「車輪置き場」「鉄工改造場」「自連バネ検修場」である。
「車輪置き場」は、史料によれば、現在よりも大きな規模であり、
機関車等の車両工場であったことが分かる。
「自連バネ検修場」は、「旧小倉鍛冶職場」である。
写真順に車輪置き場、鉄工改造場、自連バネ検修場、SLのボイラーの
断面である。
 
CA251109.jpg CA251114.jpg
CA251113.jpg CA251117.jpg
このように、JR九州小倉工場は、九州鉄道会社発足当初の明治期から
鉄道院時代の大正、昭和初期までの歴史的な工場建築を残しており
日本における鉄道導入期における鉄道工場と歴史的な工場建築を
残した博物館といえる。(引用及び参考文献 「北九州の近代化遺産」「福岡の近代
化遺産」「九州遺産」弦書房)
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近代化遺産2・志免鉱業所竪坑櫓

2008/10/11
category - 世界遺産・近代化遺産
コメント - 6
                         
 遠くから見ると、その異様な外見に驚かされる。
近づいて見ると、その大きさにあきれてしまう。
もっと寄って見ると、そのあまりの美しさに畏怖さえ覚えてしまう。
 ここは、福岡県糟屋郡志免町にある志免鉱業所竪坑櫓。この巨大な
櫓は、炭坑夫を昇降させ、石炭を搬出するための施設であった。
鉄筋コンクリート造り。高さ47.65メートル。垂直に掘られた竪坑は、
最深600メートルもの深さにある石炭層に向かっている。
この形をワインディングタワーといい、櫓本体と巻き上げ室が一体と
なるエレベーターのような仕組みである。この形の櫓が残っているのは、
世界でも3ヶ所だけで、世界的にも重要な遺産である。2007年には、
国の登録有形文化財になった。
 志免鉱業所竪坑櫓の歴史は、明治21年。政府が「良好な石炭は、海軍
第一の必要品」として、指定したことに始まる。
糟屋炭田には、戦艦に必要な良質の無煙炭が埋蔵されており、それゆえ、
海軍は、志免周辺の鉱区を接収したのである。戦局の展開により、地下浅部の
石炭だけでは、石炭が足らなくなり、深部の採炭計画に着手。昭和16年、
太平洋戦争の勃発した年。竪坑の建設に着手。プロジェクトチームが、南満州
鉄道が建造した竪坑櫓(中国撫順市)を視察。それで、志免の櫓は、台風や
地震に強い構造に設計された。その後、昭和39年、鉱業所は、閉山。櫓の
巻き上げ機のエンジンも止まった。
 櫓は、ハンマーコプフ式という金槌型の不安定そうなつくりとなっているが、
前後左右で微妙なバランスをとっており、その堅牢さは、実証済みである。
 (引用及び参考文献 「北九州の近代化遺産」「福岡の近代
化遺産」「九州遺産」弦書房)
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CIMG0352.jpg  CIMG0353.jpg
CIMG0354.jpg  しめ1
                                 
                                      
            

近代化遺産1・筑後川昇開橋

2008/10/05
category - 世界遺産・近代化遺産
コメント - 6
                         
 近代化遺産とは、社会の近代化によって生み出され
今に残されたもので、各種の建造物・工作物・そして
施設に関係する設備、機械、備品などを含むものである。
その歴史的価値により、遺産として保存に値するものと
認められているものである。土木、交通、産業の3分野が
ある。
 日本では、明治維新以来、近代化といえば、資本主義化に
ほかならず、資本主義化は、工業化=産業化にほかならな
かったから、近代化遺産の多くは、産業遺産と重なっている。
 そして、今、これらの近代化遺産を保存、活用したまちづくり、
記念館、観光施設が日本全国で展開している。
(引用及び参考文献 「北九州の近代化遺産」「福岡の近代
化遺産」「九州遺産」弦書房)
 第1回目は、筑後川昇開橋。このあたりは、河口に近く、
川幅が広いうえに、舟の往来が多く、橋をかけることが
困難であった。人々は、舟で川を渡っていた。国鉄佐賀線の
開通により、列車と舟の両方が通行可能な仕組みが必要
になり、そこでエレベータのように昇降する橋がかけられた。
506メートルに達する橋梁のうち、、可動橋をはさむ両側に
46.8メートルワーレントラスを設置。その内側に30メートルの
タワーを立て、長さ24.2メートルの橋げた(重さ48トン)を
昇降させる仕組みだ。
荷重を支えるために、橋の基礎は、20メートルほどの深さに
達する難工事であった。
 鉄道の廃止とともに撤去も計画されたが、地元の熱望によって
動態保存されている。
040328_1313~01
040328_1313~00

                                 
                                      
            

篤姫 今後の放送予定 下関砲撃事件(1864)

2008/10/04
category - 日記
コメント - 6
                         
 「篤姫」の今後の放送予定。
文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は、関門海峡を通る外国船を
5回にわたって、砲撃した。(攘夷戦)翌年8月、英、米、仏、蘭の4国連合艦隊17隻が
報復のため、下関にやってきた。海峡の最も狭いところに築かれたこの壇ノ浦砲台は、
前田砲台とともに、重要な役割を果たしたが、全ての砲台を占領、破壊されわずか
3日間で敗れた。いわゆる下関砲撃事件である。(1864)
 外国の進んだ軍備に目覚めた長州藩は、これをきっかけに攘夷をやめ、倒幕、開国への
道を歩むこととなる。
 長州藩の主力となった八十斤加農砲(カノン砲、長州砲)は、青銅製の大砲で球形の玉を
発射し、目標を打ち抜き損害を与えるものであったが、連合艦隊の大砲は、距離、威力ともに
はるかに優れたものであった。
 下の写真の大砲は、幕末に数多くの大砲を鋳造していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の
模型を参考に原寸大に復元したレプリカである。
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大砲
 後ろに見えるのは、関門橋。
大砲2
長州砲
                                 
                                      
    

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