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近代化遺産10・のりピーは、近代化遺産?酒井法子の判決と母校

2009/11/08
category - 世界遺産・近代化遺産
                         
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近代化遺産9・宮本武蔵と佐々木小次郎が眠る軍事遺産の山・手向山

2009/07/30
category - 世界遺産・近代化遺産
コメント - 0
                         
 シリーズで連載してきた北九州市小倉北区の手向山。
ここには、明治から昭和にかけての重要な軍事遺産が
残るとともに、宮本武蔵と佐々木小次郎の碑も建設されている。
 この手向山は、江戸時代、代々小倉藩の家老だった宮本家
が、藩主から拝領していた。
 明治になって、手向山(当時は、田向山)一帯を陸軍が接収、
戦争による敵艦隊の来襲を予想し、関門海峡防備のために
山頂東側に砲台を構築した。4号倉庫の上部に「明治20年
9月起工、同21年竣工」とあり砲台の設置は、明治21年。
大砲の設置は、同24年である。
 砲台は、1砲座に24cm臼砲を配備、合計6砲座を設置した。
右の4砲座は、直線に、左の2砲座は、やや内側に折れた
「折線砲列」になっていた。各砲座は、山の斜面を削って
すり鉢状にしていた。
 砲座からは、関門海峡が見えないので、砲台両端から100m
離れた場所に観測所を設置し、位置や距離を確認し、砲座と連絡
する仕組みになっていた。しかし、砲台は、実践に使われること
はなかった。

写真1枚目、佐々木小次郎の碑。この碑は、村上元三が新聞
連載小説「佐々木小次郎」の完成を記念して、旧小倉市(現北九州市
小倉北区)に寄贈したものです。谷口吉郎の設計で、昭和26年に
建てられた。碑には元三の句「小次郎の 眉涼しけれ つばくらめ」
が刻まれている。
 佐々木小次郎については、隣の宮本武蔵の碑に「兵術達人名岩流」と
刻まれていますが、ほかに資料がなく、よく分かっていない。
 武蔵との仕合があったといわれる4月13日に近い日曜日に毎年、
碑前で、武蔵小次郎まつりがおこなわれている。
小次郎の碑

写真2枚目。武蔵の碑。
この碑は、武蔵の養子、宮本伊織が、建立したものである。伊織が
播州(兵庫県)明石の藩主であった小笠原忠真に仕えたのは、寛永
3年。15才のときで、同9年小笠原氏が小倉に入国したときには、若くして
知行2500石の家老であった。
 武蔵は、数年間小倉に在住したと伝えられるが、寛永17年には、熊本
に移り、正保2年(1645)5月19日に没した。
 碑は、伊織が、忠真から拝領した手向山に、養父武蔵をしのんで、
1654年4月19日に建てたもので、古くから北九州地方第1の名碑と
うたわれている。剣豪の生涯の事跡を伝える碑文は、武蔵と交友のあった
熊本、泰勝寺の春山和尚が記したものである。
武蔵の碑

 碑文の大意は、以下のようなものである。
 「武蔵は、文武両道を極め、二刀兵法の元祖である。13歳で初めて
勝負をし、16歳で但馬秋山と勝負し、これに勝った。
 京都で日本一の兵術家吉岡清十郎にも勝ち、一門の恨みをかい、
多数で襲われたが、これも打ち破った。舟島(巌流島)では、兵術の達人
巌流(小次郎)と勝負した。巌流は、三尺の真剣で秘術を尽くして戦った
が、武蔵は、木刀で一撃し、殺した。以来、舟島を巌流島という。
13歳から壮年まで60数勝負し、敵の眉間を打ってはずさず常に勝った。
昔から兵術の雌雄を争う人は、多いが相手を打ち殺す程の技量を持つのは
武蔵だけである。
 その名は、全国に知れ渡った。武蔵は、常に無私の境地になれば、戦場で
大軍に恐れることもなく、国を治めることも難しくはないと言う。
 石田三成謀反のときも、大阪の陣の名声を博した。加えて文武全てのものに
業績を残した。肥後(熊本)で没するときに、「天仰実相円満之兵法逝去不絶」
と書いて遺言とした。」

 巌流島を望む
 写真3枚目、2人の碑は、ここ手向山の山頂部に建てられている。ここからは、
2人が決闘した巌流島を望むことができる。
巌流島は、対岸(下関側)の塔の右側である。拡大してほしい。最大化
すると、赤い線で囲まれたところが巌流島である。
 なお、、「武蔵の遺骨は、熊本に埋葬してあるが、その一部を分骨して
武蔵の碑に埋葬してある。」との地元の有力な情報を入手した。
                                 
                                      
            

近代化遺産8・宮本武蔵と下関要塞・手向山砲台

2009/07/28
category - 世界遺産・近代化遺産
コメント - 0
                         
 シリーズでアップしている宮本武蔵と下関要塞・手向山砲台。
北九州市小倉北区手向山。ここには、宮本武蔵と明治、昭和期の
軍事遺産が眠っている。
 写真1,2、3枚目。火薬倉庫。(7月25日の記事の手向山の地図を
参照してほしい。)
火薬倉庫 火薬倉庫 (1)
 火薬倉庫 (2) 探照灯跡
写真4枚目。探照灯跡。手向山の山頂の砲台の構築とともに、夜間の
敵艦の侵入を把握するために、砲台から北西170m、標高50mのこの位置に
探照灯を設置した。
 円形の赤レンガの中央にある、四角の台座の上に可搬式90cmの探照灯を置き、
夜間に関門海峡を通る船を照射し、観測所から確認できるようにした。
 円形レンガの上部セメント部分に小倉、名古屋岬(戸畑)竹の子島、筋山、
田の首村(彦島)、火の山、古城山、大里、矢筈山(門司)などど目標になる地名が
刻まれている。
 なお、麓近くの赤レンガの壁の建物が、電灯所(火力発電所)で、タービンを回して
自家発電し、探照灯の電源としていた。
電灯所跡
 探照灯の建物は、現存していないため、上の5枚目の写真でアップする。

 写真6,7枚目。探照灯跡。
探照灯跡 (1) 探照灯跡 (2)
 8枚目、第1号倉庫。
 9枚目、電灯所(火力発電所)

第1号倉庫 発電所跡 (1)
 10枚目、電灯所(火力発電所)
 11枚目、電灯所(火力発電所)の図面。
 明治時代の火力発電所跡。
 この付近一帯は、明治時代から要塞地帯で、昭和20年8月の
終戦まで、一般の人は、立ち入り禁止地区であった。
 この手向山に明治20年から24年にかけて、関門海峡に敵の艦船が
侵入したときに、攻撃するための砲台を建設した。
 この赤レンガの建物は、自家発電装置を内蔵していた火力発電所
(明治時代は、電灯機関舎と言った)跡である。この火力発電所では、
海峡を照射するため、北側の中腹に設置された探照灯の電気を供給
していた。
 室内は、左右2室に分かれ、左が汽罐(きかん)室(ボイラー室)
右が発電室になっていた。
 これと全く同型で同時代に建設せれたものが、愛媛県今治市の
白島に復元されている。
 ちなみに赤レンガには、「いよ」と刻まれ、白島と同じ愛媛県産の
ものを使っている。
 発電所跡 発電所跡2
 画像拡大の仕方
 ①カーソルをサムネイルの上に持っていくと手の形になる。
②サムネイルの上でクリック③新しいウインドウが開いたら、
右上の最大化をクリック④右下の「通常のサイズに伸ばす」
(または、画像上で+)をクリックすると画像が拡大します。
(引用及び参考文献 「北九州の近代化遺産」「福岡の近代
化遺産」「九州遺産」弦書房)
                                 
                                      
            

近代化遺産7・宮本武蔵と明治の砲台群・下関要塞・手向山

2009/07/25
category - 世界遺産・近代化遺産
コメント - 2
                         
 宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島での決闘を
アップしてきた。これで、記事は終わりではない。
取材を進めるうちに、宮本武蔵と北九州市小倉北区の
手向山(たむけやま)が、深い関係であることを知った。
 ところで、下関要塞とは、明治期に日清戦争開戦に備えて
敵艦船の関門海峡通過を阻止する目的で、明治20年から
十数年の歳月をかけて、海峡を挟んで下関と北九州の
両側に設置された砲台群の総称である。その数は19箇所に
のぼり、西日本では最大級の要塞であった。しかし、日清
戦争でも、日露戦争でも防備だけの沿岸要塞は、意味のない
ことが分かっただけで、一発も実際に発射されることはなかった。
無用の長物と化した全国各地の砲台は、全て廃止された。
(大正2年)しかし、この下関要塞は、朝鮮、中国に近い
重要地域であるために、施設だけは、そのまま温存された。
 要塞地帯は、戦前要塞地帯法によって、立ち入りを厳しく
規制されていたため、周辺の自然が現在まで残されている。
 この手向山砲台は、1889年に竣工。この山は、もともと
宮本家の所有であったが、要塞化のために、陸軍に接収
された。
 なお、この手向山砲台は、昭和に入ってからも小倉造兵廠
の防備のため、砲陣地として利用されていた。山頂の広場に
砲座と弾薬庫があり、弾薬庫の石材は、藍島(あいのしま)から
運ばれたと言われる。ほかにも、倉庫、観測所などの遺構が点在
する。
写真2,3名目、第3,4号倉庫。この中にたくさんの
弾薬を保管していたという。
砲台跡  第3号倉庫
 写真4名目、砲座。
第4号倉庫  砲座
写真5枚目、手向山地図。拡大してみてください。
手向山地図

画像拡大の仕方
 ①カーソルをサムネイルの上に持っていくと手の形になる。
②サムネイルの上でクリック③新しいウインドウが開いたら、
右上の最大化をクリック④右下の「通常のサイズに伸ばす」
(または、画像上で+)をクリックすると画像が拡大します。

(引用及び参考文献 「北九州の近代化遺産」「福岡の近代
化遺産」「九州遺産」弦書房)
                                 
                                      
            

近代化遺産6・映画やドラマによく出てくるあの門司港駅

2009/05/30
category - 世界遺産・近代化遺産
コメント - 2
                         
 映画やドラマによく出てくる駅。写真を見ると、
「ああ、見たことある。」ときっと思われるはずだ。
昔の駅として、よく出てくる。記憶に新しいところで
は、映画「釣りばか日誌」とか。松本清張の「点と線」
でも確か、出てきたと思う。
 開業は、1891年。
当時は、門司駅としてもっと山側にあった。しかし、
客貨の増加や門司地区の発展に伴い、1914年、
現在地に移転した。これにより関門連絡船との利便性
が向上した。
 昭和63年には、本屋1棟が現役の鉄道駅舎として
全国で初めて重要文化財に指定された。
 九州鉄道の起点駅としての駅舎は、ネオ・ルネッサンス
風のデザイン。
 駅全体の構造が頭端式であるため、改札口からホームに
行くのに階段がない。
 下左。駅正面。よくテレビや映画に出てくるおなじみの
姿である。
 下右。大正時代の水洗便所。当時としては、
近代的な水方式であり、便器のしたに溝を堀り、一括、
水で流していたと思われる。
門司港6  門司港5
下左。幸運の手水鉢。大正3年の建設当時からあり、戦時中の
貴金属供出からもまぬがれ、現在も鋳造時の形のまま
長寿を誇っている。
下右。近代化産業遺産の認定書。
門司港4   門司港3 (1)
「切符売り場」と「待合所」右から書かれている。
門司港3 (2)  門司港3
下左。九州の鉄道網の基点と意味する「0哩標(ゼロマイル)」
下右。旧監視孔。詳細は、不明。戦争末期、軍の命令で設置された
渡航者の監視所跡。門司港は、外国航路寄港地のため、関門
連絡船の通路は、戦時下の不審者を監視する絶好の場所でした。
監視孔は、反対側にもあり、内部がわかりにくい構造で、横に
入り口をふさいだ跡がある。

門司港2  門司港1 (1)
下左。関門連絡船通路跡。
下右。帰り水。この水道は、駅が開設された
頃に設置されたもので、以来、旅行者に門司の
おいしい水を供給しています。とくに、戦前の海外
旅行帰国者や終戦後の復員や引き上げの人たち
が、門司に上陸して安堵の思いで呑んだことから、
誰言うとなく、「帰り水」と呼ばれるようになった。

門司港1  門司港3 (3)
画像拡大の仕方
 ①カーソルをサムネイルの上に持っていくと手の形になる。
②サムネイルの上でクリック③新しいウインドウが開いたら、
右上の最大化をクリック④右下の「通常のサイズに伸ばす」
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(引用及び参考文献 「北九州の近代化遺産」「福岡の近代
化遺産」「九州遺産」弦書房)
 近代化遺産取材後記
 ①まだ、市民権を得ていないのか、取材中に不審者を見るような
目で見られることが多い。今回の「幸運の手水鉢」では、男子トイレから
女子トイレ側を撮るアングルとなり、シャッターを切ったとき、若い女性が
トイレから出てきて、こちらをキットにらんだ。
 ②地元の長老に聞くが、地元の人もよく知らないことが多い。「さざれ石」
の取材のときは、観光協会や地域の老人など誰に聞いても判らず、
最後は、自分の足で探し出した。
 ③せっかく、住所を探し当てても、遺産がすでに壊されていたり、
取材禁止のところが多い。特に産業遺産では、固くガードされている。
 私「取材、したいのだが。」  守衛「だめです。」
 私「どうして?」         守衛「だめです。」
 私「上に聞いてください。」   守衛「だめです。」
 私「じゃあ、自分で携帯で電話するから、会社の電話番号を教えてください。」
 守衛「だめです。」
 NTTに聞けば、すぐにわかるの、にである。どうも工場関係は、
テロを警戒しているらしいが、普通のおじさんがテロリストに
見えるのだろうか?

                                 
                                      
    

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